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5.102020
フィリピンの旅 マニラ 記憶にとどめるマニラ市街戦1945
フィリピンの旅 マニラ 記憶にとどめるマニラ市街戦1945 3/1今から75年前の第二次世界大戦末期、1945年2月3日から3月3日までの一か月間、首都マニラでは、日本軍と連合軍の壮絶な戦いが行われました。そして日本軍は敗れ、三年間に及んだ日本のフィリピン支配は幕を閉じました。
70万人の市民が生活する場でくり広げられた戦いは「マニラ市街戦」と呼ばれています。太平洋戦争では最大規模となった凄絶な戦いでした。街は壊滅状態になり、死者は12万人に達したといわれます。日本兵死者16,555人、米軍死者1010人。しかし、大半の犠牲者10万人は、巻き添えになったマニラ市民でした。
イントラムロスとよばれるマニラ旧市街もその戦場でしたが、今回、その慰霊碑「MEMORARE-MANILA 1945 メモラーレ・マニラ1945」を見つけました。今まで何度も来ているのに、知らなかったことを恥ずかしく思いました。マニラ大聖堂の裏手、世界遺産のサンアゥグスティン教会近くの小さな公園です。遺族ら市民団体の手で1995年に建立されました。
無防備だった罪のない市民たちの地獄絵を伝える像は、PETER DE GUSMAN作。息絶えた赤子を抱き涙を流す母親、レイプされた若い女性、青年、老人・・・8人がその絶望と混乱、苦しみ、無念の思いを伝えます。遺族の苦しみと祈りがひしひしと伝わってきました。
銅像の下に刻まれた慰霊の言葉を稚拙ながら訳してみましたので、共有いただければ幸いです
『メモラーレーマニラ 1945』 記憶してください–マニラを
この記念碑は、戦争(注:1945年のマニラ市街戦)で 命を落とした、罪のないすべての犠牲者に捧げられます。
彼らの多くは、名前もわからないまま共同墓地に葬られ、あるいは葬られることもなく、戦火で焼かれ、灰になってしまいました。または、押しつぶされて塵のように瓦礫に埋もれてしまいました。
この記念碑を、1945年2月3日から3月3日までの「解放の戦い」において、マニラで殺された10万人を超える男性、女性、子ども、幼児、すべての犠牲者の墓碑としましょう。
私たちは彼らのことを忘れてはいないし、これからも決して忘れないでしょう。
私たちの愛するマニラの聖なる地で、安らかにお眠りください。
1995年2月18日
公園入口の壁に設置されていた銘板。国立歴史研究所によるメッセージです |
『メモラーレーマニラ 1945』 記憶してくださいーマニラを
この記念碑は、1945年2月3日から3月3日のマニラ解放への戦いで殺された無防備な10万人の市民のために建立されました。彼らはおもに日本帝国軍による残虐な行為とアメリカ軍の重火器による激しい砲撃の犠牲者でした。
第二次世界大戦終盤のマニラの戦いは、アジアと太平洋の歴史のなかで最も残忍な出来事でした。
その悲劇的戦いの非戦闘員の犠牲者たちは、フィリピンの人々の心に永遠に残り続けます。
NATIONAL HISTORICAL INSTITUTE 1995 国立歴史研究所 1995
もう一枚の石の銘板には、「日本軍による市民殺害があった」と語り継がれる36か所の具体的な地名が刻まれていました。
フィリピンでも戦争の記憶が遠くなり風化しつつあります。事実を後世に伝えていこうという遺族や市民の強い決意を感じました。
日本軍はフィリピンで何をしたのか。私たちも事実に向き合って、戦争の真実を心に刻み語り伝えていく必要があると思います。気になったので、改めて当時のことを調べてみました。
私は以前、NHKドキュメンタリー『マニラ市街戦 憎しみと赦し』(2014年放映: 市街戦に巻き込まれたキリノ大統領一家の悲劇と1953年の戦犯恩赦がテーマ)で、フィリピンの方々の証言により、日本軍による残虐な行為を知りました。残念なことに、この番組は現在webでは視聴できないようです。
しかし、マニラ市街戦についての元日本兵による生々しい証言の数々は、「NHK戦争証言アーカイブス」(www2.nhk.or.jp フィリピンまたはマニラ市街戦で検索)でweb視聴することができます。当時の戦闘の様子も映像記録として残っています。また、DVD『証言記録 マニラ市街戦-死者12万焦土への一か月』(NHKエンタープライズ)も販売されています。ぜひ、ご覧ください。
朝日新聞『折々のことば 2019.10.12』より
「戦争っていうものはね、犯罪だ。殺人、傷害、強盗、放火、あらゆる犯罪を網羅したものが戦争だ。これは覚えておきなさい」 豊田藤四郎
◆フィリピン・イロコス地方<伝統織物『ビナクル』の里めぐり>の旅では、女性たちに受け継がれてきた多彩な伝統織物について学びを深め、イロコス地方の文化や食にも出会い楽しむことができました。しかし、どこの土地をめぐっても、太平洋戦争の日本軍による深い爪跡が残されていました。戦後75年、はからずも私たちは日本とフィリピンの過去の歴史に向き合うことになりました(遠藤記)。
・フィリピンのおいしい旅3 サンデーマーケット@マニラ に続く・・・・
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