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2.232022
フィリピンの不思議な布つなぎ技法 渡辺敬子 その1
◆渡辺敬子さんの論文を3回に分けて掲載いたします。
フィリピンの不思議な布つなぎ技法
-発見・再現・図解・調査などの記録- 渡辺敬子 <寄稿>
The Loop-knotting Technique in the Philippines –A record of discovery, reserch and reproduction with Illustration
渡辺敬子プロフィール 1941年静岡県生まれ。静岡県立女子短期大学卒業。主婦。夫の転勤に伴い、英国4年、フィリピン25年、米国2年、ウズベキスタン2年と30年以上にわたり海外で暮らす。1972年から1997年迄フィリピンで暮らした25年間の後半は少数民族の民族衣装の布つなぎとして見つかった「輪結びつなぎ」を再現してから古い民族衣装、織物、布つなぎに興味を抱きその収集、再現、研究をするようになった。
図解清書・イラスト 渡辺友子
*写真・図版等の無断転載を禁じます。
はじめに
フィリピンの少数民族・民族衣装に不思議な布つなぎ技法が見つかり、それを「輪結びつなぎ」と呼ぶ事にしました。なるべく多くの方に知っていただきたいと思います。
輪結びつなぎは、チロリアンテープのような美しい紐を針と糸を使い結び玉の連続で組織を作る、と同時に両脇の布に止めつける布つなぎの一種です。しかしフィリピンの人々は、このような特殊技法があることさえ誰も気付きませんでした。外国人だからこそこの不思議なものに目がとまったのでしょう、アメリカ人と日本人が見つけました。
今迄この技法について調査し書かれた記録はフィリピンにもありません。発見・再現・図解・現地調査などをエピソードも含め書いてみました。
▼写真1 マロンを着た著者 マロンの横方向に2本見られるのが「輪結びつなぎ」。レース模様(上)、レース模様にアウトライン・ステッチ入りのつなぎ(下)
縦方向にはランキットという綴れ織りの飾り布が使われています。
第I章 写真から技法再現
I-1出会い
私が1972~97年迄25年間住んだマニラには、当時マニラ在住日本人主婦達の間に「フィリピンに学ぶ会(フィリピカとも呼ぶ)」があり、私は文化サークル、食物サークルなどに属していた。
フィリピカ創設者の一人に吉田よしこさん(以下吉田)という方がいる。彼女は1966~84年迄18年間フィリピンに住み、熱帯食用植物研究家であり、文化サークルと食物サークルには欠かせない人であった。フィリピンの少数民族の布類、籠、民芸品等も数多く所蔵している。彼女がフィリピンに住んでいた頃は、私と彼女の間は単なるサークル仲間だけであった、しかし彼女が日本に帰国した後、これから出てくる「輪結びつなぎ」は吉田さんが発見者、渡辺が再現者という関係で二人の係わりが深まってくる。
1985年5月のある日、私はフィリピカ文化サークルの勉強会に出席していた。そこに前年日本に帰国した吉田さんがフィリピン再訪で来ていた。彼女は上の写真を取り出し、これは昨年私がマニラで手に入れたマラナオ族[1]のマロン[2]の布つなぎ部分です。彼女はこの「布つなぎ部分」はどの様にして作られ、なんとよぶ物なのか知りたくて日本で織物の専門家数人にマロンのつなぎ部分を実際見てもらったところ、この様な織物あるいは編物を見た事がある人はいなかったという。彼女がこれに興味をいだいたのには訳がある。それについては、第IV章―7の項で述べる。
そこで彼女はフィリピンで作られた物はフィリピンで調べる他ないと考え写真に撮り持って来た。「どなたかこれを再現してみませんか」と10人程の日本人女性達に問いかけた。 私は吉田さんが見せてくれた写真に少し興味をそそられたので手を挙げた。私以外これに関心を示した人が無かったのでこの写真を貰い受け、持ち帰った。
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[1]フィリピン、ミンダナオ島ラナオ湖周辺に住む少数民族、イスラム教徒のなかでもっとも有力で誇り高い。
[2]東南アジアで一般的にみられる筒状のスカート、ミヤンマーではロンジ-、インドネシアではサロン、フィリピン・ミンダナオ島ではマロンと呼ぶ。マロンは特に丈が長いのが特徴で、丈を長くする為布をつなぐ必要がある、そのつなぎ部分に極くまれに輪結びつなぎが付いている。写真1参照
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I-2 写真だけではどうにもならない
吉田さんの説明によると、このつなぎ部分は引っ張ると少し伸びる、太陽にすかして見るといくらか透ける、手で触るとざらついている、と言っていたが、これは写真なので触ってもつるつる、透かしても向こうは見えない、裏返すと真白、いくら眺めても写真だけからではどうにも解決の糸口さえ見つからず私は途方にくれていた。
I-3 アメリカ人織物研究家の橋渡し
そこに吉田さんから電話がかかってきた。「フィリピン在住のアメリカ人で織物研究家メアリー・ナン(Mary Ng)さんという方が、マニラ郊外に住むマラナオ族の婦人で織物が出来る人を知っているそうです。何か手がかりが得られるかも知れません、明日3人で会いに行きましょう。刺繍針、刺繍糸、布を用意して下さい」と。しかし私はその時点では刺繍針、刺繍糸とも持っていなかったので近くの友達から借りて用意した。
メアリー・ナンさんが案内してくれた場所はフード・ターミナルの南にあるマハリカ・ヴィレッジであった。そこはマルコス時代に作られた所で、長期にわたるキリスト教徒とイスラム教徒の宗教戦争のためミンダナオ島から避難して来たイスラム教徒のための特別居住区である。しかしそこには電話がない。突然訪ねて行ったので、お目当ての婦人は留守で会えずがっかりした。
I-4 マラナオの婦人も写真の様なものは見たことがなく作る事もできなかった
吉田さんと私は2人で翌日叉出かけ、1985年6月15日ようやく会う事が出来た。この婦人は55歳位でミンダナオ島、マラウイ市から約20キロはなれたツガヤ村出身、名前を聞いたらアテカ・ババエ(ババエとはタガログ語で女性、おばさんの意)とそばにいた人が言っていた。彼女は英語が話せずそばにいた男性が通訳してくれた。
持参した写真を見せ、この作り方を教えて欲しいと頼んだ。
彼女は老眼鏡をかけ写真をじっとみつめた。裏目はどうなっているか写真を裏返した。私も最初それをやり写真の裏側は真白いので、これは布でないことにはっと気付くのである、顔を見合わせ笑ってしまった。彼女も写真のような複雑なものは見た事もなく作る事も出来ないと分り、がっかりしてしまった。しかし彼女は私が用意した材料を使い、自分の知っているやり方で「一種の布つなぎ」を作り見せてくれた。
I-5 マラナオ婦人アテカ・ババエさんのやり方
まずどっかりと床にあぐらをかいて座り込み膝の上にクッションを置く。つなぎを作る布2枚の布端を少し上へ折り曲げた。これは後から分ったことであるが、作る際の裏側を出来上がった後表として使うためである。
クッションの上に2センチ程すき間を空けて、2枚の布を置く。すき間は身体の前、横方向。布の左端を大きな安全ピンで2枚ともクッションに止めつける。
刺繍針に刺繍糸を通す、糸はとても長く2,5メートル位はあった。
手前の布左端に1針刺して抜き糸端を結んで布に糸を固定する。
図1のように布に沿って4針ほど右に進み、折り返して左に戻る。左右に行ったり戻ったりしながら図2のような小三角の網状の組織を作り反対側の布に止めつける。
図3のように上の布に沿って目を作る。後は適当な所を針ですくい網状の組織を作りながらすき間を埋めていく。彼女の針を刺す場所は玉と玉の間をすくったり、飛ばしたり、玉に突き刺したりと気まぐれで、針を進める方向も決まっていなかったが、大まかには図4のように上下しながら左から右に進めていた。
I-6 吉田さんは見ていただけ、私は同じ物を作ろうとした
吉田さんは私にその場で「同じ物を作り、覚えて下さい」と言った。
私は言葉で教えてもらえない上、図にもかけなかったので、どうにかして彼女と同じものを作ろうとして試みた。しかし彼女はちょこちょこと、あっちこっち好き勝手な方向に手早く針を操作する。彼女と自分の手元を交互に見ながら同じ物を作ろうとするのは目が回りそうで、頭も混乱するばかりであった。
吉田さんは手を腰に当て、針も糸も持たずただじっと彼女の手元を見つめているのみであった。そして「渡辺さんこれは数学ですよ、何かこれには法則がありますね」などと言っていた。
目を回していた私は「何でこれが数学なの、単なる針手芸ではないか」とその時思った。ほんのわずか出来た私のものは、結び玉が出来たり出来なかったりして、薄くとても頼りないものであった。
これも後からわかったことであるが、進む方向と輪の向きが私の場合必ずしも一致していなかったので、結び玉が出来たり出来なかったりしたのがその理由である。
最後にこのやり方もしくは出来上がったものは何とよぶのかたずねてみた。コムラ、と言うらしい。そばにいた人がKUMURと書いてくれた、フィリピンの人はKUをクと発音するのが苦手でコになりがちである。
その日はっきり分ったことは、これは針と糸を使って布と布の間に網状の組織を作り、同時に布に止めつける、という手法であることであった。
帰宅して同じことをやってみたが、針と糸の操作方法がどうしてもよく分らなかった。
I-7 一つの結び玉から解決の糸口見つける
マハリカ・ヴィレッジは我が家から車で40分ぐらいの場所であったので、私一人でもう一度教えてもらいに出かけた。
今度はアテカ・ババエさんの手元を見る事に専念した。
彼女は針を抜いた後、図5・6のごとく糸を放り投げるようにして(実際には糸が長いので輪は図よりずっと大きい)、針で組織をすくいその輪の中から針を抜く。もう一つここで判明したことは、今作った結び玉に対し新たにすくう場所が
その右側か左側かにより輪の向きをかえるということだ。
図5のように次の玉がその右側なら輪は反時計回り、図6のように左なら輪は時計回り、にしなければ結び玉が出来ないという理屈がここでようやく分った。
このようにしてマラナオの婦人を訪ね彼女から習った「針と糸を使って作る一つの結び玉」が輪結び解明の糸口となった。
なおアテカ・ババエさんの手法でつないだマロン、シャツなどの実物は見たことが無い。
I-8 試行錯誤から試作品第1号誕生
アテカ・ババエさんと同じものを作ってみた。しかしこの方法では
1 針ですくう場所が一定でないため目が飛んだり、穴があいたり、結び玉が重なって厚くなったりして組織が均一に出来上がらない。
2 針を進める方向性が一定でないので、初心者には難しい。
3 つなぎ部分の巾を一定に保つのが難しい。図7のようにアテカ・ババエさんも私も共に右に行くに従い広がってしまう。
4 糸を大きな輪にする方法は初心者には結び玉作りが難しい。
そこで上記の4欠点を解消する為工夫した方法は最初1枚だけの布端に沿ってブランケットステッチで進む、端まで行ったら折り返し、一目ずつ拾ってそこに結び玉を作り戻ってくる。このようにして何往復か繰り返し結び玉を積み上げるようにして適当な巾が出来たら、もう1枚の布につなぎ止めて出来上がり。結び玉作りは大きな輪にする代わりに図9,10のように一針毎に糸を手前から後ろへ巻きつけて針を抜く。このようにすれば初心者でも間違うことなく結び玉が出来る。しかし手が慣れてくればアテカ・ババエさんのやり方の方が針に糸を巻きつける手間が省けて作業が早い。
このようにして私が作ってみた輪結びつなぎは
1 結び玉が整然と配列し、組織が均一に出来る。
2 針を進める方向が一定するので、初心者でも難しくない。
3 つなぎの巾が一定する。
4 結び玉作りが簡単。
我ながらきれいな輪結びつなぎが出来上がり大いに満足した。この時私が試行錯誤で見つけた方法は後から考えると、「輪結び組織の基本形」であった(図8)。
吉田さんは、熱帯食用植物の研究家であり、実はこの時熱帯の植物調査のためにフィリピンに来ていたのである。私に輪結びを託して彼女はミンドロ島へ調査に行ってしまった。その間に私が試行錯誤を繰り返していた、という訳である。
吉田さんがミンドロ島からマニラに帰って来たので早速試作品を見せたところ「ついに解明出来ましたね」と言って大変喜ばれた。彼女も調査旅行中、輪結びつなぎの針と糸の操作を色々考え、それを図にしてあった。
I-9 基本形発見 マラナオは布と直角
写真3 縞模様
その時彼女はマニラ在住日系アメリカ人の大島ちえさんから借りたという、輪結びつなぎのついたマロンを私に見せてくれた。これは私が「縞模様」と名づけたものである。このマロンのつなぎ部分と試作品を並べてよく見た結果、私が布と平行に作業をしたのに対しマラナオ方式は布と直角に作業をしていることが分った。結び玉の配列は両者共全く同じであり私は飛び上がる程うれしかった。
また、ここで分ったことはマラナオ方式が3針ずつ5ミリ間隔で両側の布をすくい、輪結び組織を布に止めつけている、このことから3往復で1パターンということが判明した。色を変える際には左右往復作業中、パターンの変わり目でする。そこが線になり縞模様となるわけだ。糸継ぎは糸の最初と最後を結び玉の中に巻き込んで隠す。この方法は継ぎ目を目立たなくすると同時に裏、表ともにきれいに仕上がる。
このマロンの輪結びつなぎは、横1列10玉で巾は2センチ、1パターン(3往復)の丈は5ミリ。つまり2センチ×5ミリ(1平方センチ)の面積を作るのに60回針を刺し、そこに糸を巻きつけて抜く,更に両端で3回ずつ布をすくう。このマロンには、長さ160センチの輪結びつなぎが2本ついている、何とも気の遠くなるような手間と時間がかかっているわけである。
私はこの縞模様の輪結びと出会ってから、布のすき間を身体の正面縦方向に置き、作業は左右往復しながら手前から向こうへ、つまり織物や編物と同じ作業方向をとることにした。
この時見つかった縞模様は、マラナオ族「マロンの輪結びつなぎ基本形」と私は考える。
I-10 輪結び、輪結び組織、輪結びつなぎ とは
「輪結び」とは輪結びつなぎ解明の糸口になった1つの結び玉のことで、マラナオの婦人が実演して見せてくれた、糸を輪にして結び玉を作ることから「輪結び」とよぶ事にした。なおこの結び玉は英語ではシンプル・ノットに当たる(Simple Knot,The Primary Structure of Fabrics, The Textile Museum, Washington D.C.)。 結び玉の連続でできる組織を「輪結び組織」。輪結び組織をフィリピンでは布つなぎに取り入れた特異なものであることから「輪結びつなぎ」とよぶ事にした。
I-11 布つなぎ全般から見た輪結びつなぎの位置
フィリピンの少数民族衣装から見つかった「輪結びつなぎ」は布つなぎの1種である。布つなぎ全般からみた輪結びつなぎの位置を簡単に説明しておく。
1 布と布を重ねて縫い合わせる・・・現代は殆どこの方法。
2 布と布をつき合わせてとじつける
つなぎ目が目立たず、貴重な手織り布などを無駄無く使うことができる。
又刺繍糸などでとじつけ、デザインの一部とする――中南米のポンチョなどのつなぎ。
3 布と布の間に隙間をあける(差し込み方式ともいう)
a・・・帯状の別組織を挟み込んで縫い付ける――フィリピン、マラナオ族マロンの飾り布がこれに当たる。ごく稀に飾り布の代わりに輪結びつなぎが付いている。
b・・・すき間を糸でかがる。直線裁ちの衣服に取り入れるとこの部分が動き機能的である。日本で男性が夏に着る甚平のつなぎがこのこれに当たる。糸でかがるだけでなく更に結びを入れると輪結びつなぎとなる。密に結ぶ場合とレース状に透かしを入れる場合がある。
I-12 幾何学模様再現
吉田さんから渡された写真には、縞模様と幾何学模様がまざっている。縞模様再現は前述のごとく出来たが、幾何学模様はかなり大変であった。方眼紙に色鉛筆で玉を数えて写し取ればよさそうだ。しかしいくら写真を拡大鏡で覗いても、不思議なことに結び玉の数が数えられない。(実は幾何学模様再現後、数年してからこの現物のマロンを手に取って見た。輪結びつなぎは、作る際の裏側を表として使ってあったのだ。輪結び組織の裏側は数えられない理由など、その時点では知る由もないことであった)。仕方なく、横一列10玉と想定し、糸の動きを考えながら1玉ずつ模様を方眼紙に写し取った。次に、カラフルな色糸でできているこの幾何学模様をどのようにして作るかが一苦労であった。
幾何学模様は縦、横、斜め3種類の線の組み合わせで構成されている。横線は縞模様で解決済み、段の変わり目で色糸を変えるだけだ。
縦と斜めの線は、あくまでも左、右往復作業の途中で異なる色糸とからめて変える。私が考案した針操作は、28ページ図15 参照。幾何学模様作りは横一列の色数と同じ本数の針を使う。模様が複雑になるほど、針の数が多くなり手間と、時間がかかり大変である。
図11
幾何学模様再現で「方眼紙に図解」を始めたことが今後大いに役立つことになろうとは、その時は気付くはずもなかった。
I-13 写真から不思議な技法が再現できて満足
自分の趣味が増え、アルファベット、数字、その他様々な幾何学模様を作図し、輪結びつなぎを挟み込んだクッション・カバー、ハンド・バックなど作り楽しむと共に、友達に輪結びつなぎの伝授も始めた。
吉田さんから渡された写真から、フィリピンの珍しい技法が再現でき、大いに満足していた。次の発見がなければ輪結びつなぎは単に手芸の一つとして、終わってしまったはずである。
第II章 新たな発見が思いがけない転機となる
II-1 レース模様発見
輪結びつなぎと出会ってから3年半後、1988年末マニラガーデンホテルの中、宝石とアンティークを売る店のショーウインドーに輪結びつなぎの付いたマロンがぶら下げ飾ってあるのが目に止り、思わず近寄った。そのマロンの輪結び組織は離れた所からは縞模様であったが近付き凝視すると、細い斜線が左右からびっしり入っている、斜線で囲まれた菱形が地模様になったレース状組織といえば理解していただけるだろうか(写真11)。私は身震いする程驚いた。店の中に入りマロンを恐る恐る触らせてもらった。大分古そうであった。後年の私なら即、その場で買ってしまう品物であるが、当時の私にはアンティークを見る目も買い集める趣味も全く無かった。
写真11
そのマロンを見つけて以来、不思議な事に私は寝ても覚めても菱形のレース模様が目の前にちらつき離れなかった。よし「あのマロンを買わずにレース模様を再現しよう、以前写真から再現した経験がある、あれが私の手で再現出来ないはずはないと」思うと俄然闘志が湧いてきた。
II-2 マロンを買わずにレース模様再現の努力
パターンの変わり目で次のパターンを少し離して糸が見える部分をこしらえればよさそうだ。そこから斜めに透かしの筋を延ばしていけば菱形のレース模様が出来る筈。
早速やってみたが、透かしの筋は少しだけ出来るが直ぐ細くなり中心で消えてしまう。交差させて更に延ばすことがどうしてもできない。仕方なく叉店に行き再度よく見せてもらった。菱形1個のかたまりは何個の結び玉から構成されているかがわかれば図に出来る。数えようとしたがどういう訳か数えられない、とても不思議であった。このマロンを買って家に持ち帰るのが一番の早道、しかしアンティークの民族衣装は主婦が衝動買いできる値段ではない。
後からわかってくるのだが、実はこのレース模様でつないだマロンは、作る際の裏側を表としてあったのだ。裏側は斜線の筋目が引っ込み、菱形が浮き出るのでレース模様がはっきりして見栄えがする。その時点での私は結び玉1つに作る際の表玉と、裏玉の形に相違があることなど全く気付かなかったのである。1平方センチに60玉あろうとも表玉は楕円形なので数えられるが、裏玉1個はマッシュルームの頭を少し斜めにしたような形をしている。そのマッシュルームの茎と頭が1段毎に交互に食い込んでいたのが数えられない理由であった。
II-3 困難そして友人から縞模様サンプル入手
一体どうして再現しようと頭を抱え考えているうち、植物の専門家であるが織物、民族衣装等も趣味で集めていた友人の関緑さんが、最近輪結びつなぎでつないだマロンを何処かで手に入れて持っている事を思い出し早速見せてもらいに出かけた。縞模様であった。
彼女はマロンが古く汚れていたのでメイドさんに洗濯してもらったところ、色がにじみ出て汚くなってしまった、仕方なく輪結びの部分だけを引きちぎり、リボン状の輪結び組織を黒無地のベストの首周りから前身頃に縫いつけたと言い、着て見せてくれた。彼女は何時も民芸品を上手に使いこなし感心していたのだが、アンティークの絹のマロンを引き裂いてしまったのには驚いた。その時「わずかですが残った部分をよかったら上げますよ」と言って30センチ程の輪結びつなぎをもらい受けた。
II-4 レース模様図解・再現
家に帰り関さんからもらった宝物を手にとり引っ張り、透かして調べているうち、これには何箇所か私がやったと同じような線、つまりパターンの変わり目に両サイドから中心に向かって斜線(結び玉が離れて線に見える)が入っている。けれども私と同様斜線は中心で消えてしまっている。これを延長すればよいのである。しめた、と思い針で斜線を伸ばすようにしてみた(結び玉はびくとも動かないが)結果、菱形一つは9個の結び玉にすればよいことが分った。
方眼紙を取り出し図にすることにした。大体の図が出来てもそれをどの様にして作るかが大問題であった。9個のかたまりと、離して糸を見せる部分(透ける部分)をどの様な針運びで作っていくか苦心した。
図12
図12のように作るのは一直線だが図面上はジグザグである。図をよく見ながら注意深く1玉ずつ刺し5センチ程組織が出来、はじめてくっきりとしたレース模様が現れた。
II-5 民俗衣装収集第1号入手
手元に現物無しでレース模様デザインを再現した。しかし元になったあのマロンは大変貴重な物かも知れない、証拠品として私が持っていた方がよさそうだと気が付いた。夫に聞いたら「買ってもいいよ」と言ってくれたので早速店に行き手に入れた。
何回も見せてもらいに行き顔なじみとなっていた店のオーナー、ラモン・ヴィリエガス(Ramon Villegas)さんは「普通この部分はランキット(註:綴れ織りの飾り布)です。マラナオのアンテークマロンは数多くありますが、このような技法がついたマロンを見たのは私も初めてです。このマロンは作られてから60~80年経ったミュージアム・ピースですよ」と言っていた。
ヴィリエガスさん自身もアンティークのコレクターであった。彼の店には,良い品物しか置いていない。私は以降時々その店に行き品物を探し、また彼から色々な知識を得ることも多かった。その後ヴィリエガスさんがご自分のコレクションの中からミンダナオ・タオスグ族のパンツ(図19)に輪結びつなぎがついているのを見つけ出し、私に貸してくれ再現することも出来た。
図19
II-6 輪結び組織には表裏があることを発見
帰宅して、マロンのつなぎ部分と私の試作品を並べて見た。そこで初めてわかったことは、マロンの輪結びつなぎ部分は作る際の裏側を表としてあること、作る際の表玉と裏玉とで形に違いがあることであった。形の違いのせいで玉を数えられない理由は前章で説明した。
後年、中南米染織研究家の中島章子さんに、輪結びの組織には作る際の表裏がある。衣服のつなぎには表側を表として使う場合と裏側を表として使場合があります。と伝えたところ「では編物同様最初から針操作で表に裏玉を作れませんか」と言われたので試してみた。不可能ではないが組織がきれいに出来ない、後から裏返したほうが合理的である。私が最初に出会ったマラナオの婦人、アテカ・ババエさんもその様にしていた。
II-7 最初買わずに苦労して良かったこと
買って来たマロンはよく見ると透かしの筋は必ずしもパターンの変わり目で入っているわけではない(写真11)。私の場合は図と計算(両端で菱形をたて半部に切った三角形の一辺を1パターンに収める、横1列の玉数は3の倍数プラス1)で解決した。そして最初の一玉を何処から始め、どのような針運びで進めていくかを試行錯誤で見つけた。だから、この方法で出来上がったレース模様は、筋の最初も最後もすっきりとパターンの変わり目に収まっている。マロンを買わずに苦労した甲斐があった。以前吉田さんが「渡辺さんこれは数学ですよ」と言っていた意味が少しわかったような気がした。
II-8 アンティーク店 博物館めぐりをはじめる
思いがけず輪結びつなぎ付きマロンを手に入れ、探せばまだ何かあるかもしれないと考え始めた。10年以上マニラに住んでいながらアンティーク店など全く縁の無い生活をしていたので、そのような店の存在さえ知らなかった。
最初に、民族衣装が展示されていそうな博物館巡りから始めた。けれども輪結びつなぎなど何処にもなかった。ロハス通りにある、文化センター内民族衣装博物館では、写真を持参して見せたところ、「その様なマロンのつなぎがあることなど全く知りませんでした。是非あなたが調べて当館にも知らせて下さい」と言われた。本も探したが全く見当たらず、まるで雲をつかむようであった。
アンティーク店はマカティ、エルミタ、イントラムロスなどの地区にそれぞれ何店舗かがまとまってあることがわかり、時々足を運ぶようになった。あちこちの店を訪ね布類、民族衣装などを1枚ずつ手に取り、輪結びつなぎが無いか探して歩いた。お目当ての物はさっぱり見つからなかったが、少数民族の織物や民族衣装に付随した”布つなぎ”に多種多様な工夫がされていることに気が付き、それらを少しずつ買い集めるようになった。
II-9 レース模様にアウトライン・ステッチ入り発見
エルミタの店でレース模様の斜線透かし部分にアウトライン・ステッチを施したマロンを見つけた。これを見ればなるほど考えられるデザインではある(写真12、13)。しかしこのデザインを思いつき実際作った人はたいしたものだと感心してしまった。
アウトライン・ステッチは輪結び部分の3分の1ぐらい細い糸を使い、ラインすべてを刺したり、1ラインおきに刺したり、全く刺さない部分、裏から刺したり、表から刺したりと工夫の跡が伺える。輪結び部分の巾は3・5センチもあり後にも先にもこれほど幅広の輪結びつなぎは見たことがない。相当手馴れて器用な人が作ったものであることが、自分の経験からよくわかった。この古いマロンは作られてから50年以上は経っているだろう。作った人はもう生きていないかもしれない、いつかこれを私が世に出してあげたいものだとその時考えた。
思わず売り子にこのマロンの素晴らしさ、いかに時間がかかった貴重品であるかを説明した。だが相手は全く興味を示さず、あなたはこのマロンを買うのですか、買わないのですか、もし買うのなら値引きしますよ、と言った。そんなわけで、もしかすると世界で一つしかない宝物を私としては格安に手に入れることができた。親しくなっていたヴィリエガスさんに、これを持って行き見せたところ、売ってくれないかと言われ驚いた。勿論苦労して探し当てた大事な私のコレクション、手放せるわけが無い。
II-10 夫の協力
時々週末夫がアンティーク店めぐりに付き合ってくれるようになった。イントラムロスにシラヒスという民芸品店がある。私が民族衣装を見ている間夫は書籍コーナーで暇つぶしをしており、そこでマラナオ文化研究所出版の雑誌を見つけ出版元の住所をひかえてきた。「手紙を書いて輪結びつなぎのことを調べてみたらどうだ」と夫に言われたが、私は何をどの様に問い合わせるべきか、しかも英語の手紙は書けないので知らん顔をしていた。業をにやした夫は勝手に手紙を書いて出したらしい。
ミンダナオ大学、マラウイ校、マラナオ文化研究所長、サベール博士(Dr Mamitua Saber)から「あなたの問い合わせのKUMUR(アテカ・ババエさんが以前教えてくれた言葉)は織物のランキットの事だと思います」と簡単なマロンの飾り布について説明した返事が届いた。
私は驚いてしまった。夫は私がやっている事に理解を示してはいるが、細かいことは全く知らない。説明不足だったので今度は、私が輪結びつなぎのサンプルを作り、箇条書きの質問事項をそえて、再度問い合わせの手紙を出した。
II-11 サベール教授からの返事
「あなたの手紙を見るまで、私自身(Dr. Saber自身マラナオ族,当時68歳)マラナオにこの様な技法があることさえ気付きませんでした、私が子供の頃、マラナオの婦人が針と糸を使ってサンプルによく似た物を作っているのを見た記憶があります、しかしそれを何とよぶものかも分りません、それについて調査した記録もありません。従ってあなたの質問に対し、まず私の研究員をマラナオ族の住む村に調査に送り、村の婦人達にインタビューに答えてもらいました。その結果現在まだこの技法の出来る婦人が4人見つかりましたのであなた自身マラウイ市に来て下さい、お世話します。もし来る場合は日本大使館の旅行許可証をご持参ください」と返事が届いた。[1]
[1] ミンダナオ島などフィリピン南部の島々にはインドネシア群島を経由して古くからイスラムが入っていた。スペイン人による植民地化よりも古い。文化的にみても北部よりも進んでいた。スペイン人はイスラム教徒との戦いに多大の犠牲を強いられたが、たいした成果をあげられなかった。イスラム教徒との本格的な対決が行われたのはフィリピンがアメリカの植民地になってからである。米本土でインディアンと戦いながら西部を開拓していったのと同じようなやり方で、アメリカ人はフィリピン南部の異教徒を制圧しようとした。そしてそこに欧米式の土地登記制度を導入した。現地のイスラム教徒にとって土地使用権は伝統的な取り決めによって認められたものであった所へこの様に全く新しい制度を導入し、それをいち早く利用する事が出来た一部のキリスト教徒が土地の所有者となった。そこへ北部フィリピンから貧しいキリスト教徒が入植してくると当然のこととして両者の間に衝突が生ずる。文化的な衝突であると同時に経済的な衝突でもある。この戦いは今も続いていて、いろんなイスラムゲリラが政府に武力で対抗している。外国人などを人質にとって政府との交渉の材料にするなどの事件が頻繁に起きる。したがって治安が悪く、同地への旅行などはなるべく避けるのが常識であった。
その2に続く
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フィリピンの不思議な布つなぎ技法
-発見 再現 図解 調査などの記録-
目次
その1
はじめに
フィリピン地図
第I章 写真から技法再現
- 出会い
- 写真だけではどうにもならない
- アメリカ人織物研究家の橋渡し
- マラナオの婦人も写真の様なものは見たことがなく作ることもできなかった
- マラナオ婦人アテカ・ババエさんのやり方
- 吉田さんは見ていただけ、私は同じ物を作ろうとした
- 一つの結び玉から解明の糸口見つける
- 試行錯誤から試作品第1号誕生
- 基本形発見 マラナオは布と直角
- 輪結び、輪結び組織、輪結びつなぎ、とは
- 布つなぎ全般から見た輪結びつなぎの位置
- 幾何学模様再現
- 写真から不思議な技法が再現できて満足
第II章 新たな発見が思いがけない転機となる
- レース模様発見
- マロンを買わずにレース模様の再現努力
- 困難そして友人から縞模様サンプル入手
- レース模様図解・再現
- 民族衣装収集第1号入手
- 輪結び組織には表裏があることを発見
- 最初買わずに苦労してよかったこと
- アンティーク店 博物館めぐりをはじめる
- レース模様にアウトライン・ステッチ入り発見
- 夫の協力
- サベール教授からの返事
その2
第III章 マラウイ現地調査 広報
- マラナオ族だけが住む村・バコロド・チコ
- 村一番の名手・ティボロンさん(Hadja Aisa Tiboron 70歳)
- 刺繍糸は手作り・オマールさん(Hadja Aisa Omar 64歳)
- バコロド・チコではレース模様のみ、しかし日本人は・・・村人の驚き
- 伝統織物は現在も織られている、しかし輪結びつなぎは消滅寸前
- マロンあれこれ 村人の服装
- サベール教授と村人へのQ and A
- 広報
第IV章 アメリカの博物館にもフィリピンの輪結びつなぎがあった。アメリカでも調査した人がいた
- アメリカの博物館の蔵品再現
- フィールド博物館からの返事
- スミソニアン博物館の蔵品記録
- なぜ20世紀頭にフィリピンの物がアメリカの博物館に入ったか
- アメリカにも輪結びつなぎを調査した人がいた
- シャーロットさんの調査記録
- 輪結びつなぎが再現可能になった経緯――シャーロット・吉田・渡辺の連携プレイ
その3
第V章 図解
- ミンダナオ・イスラム・グループ
- ミンダナオ・非イスラム(精霊信仰)グループ
- 北部ルソン山岳部・精霊信仰グループ
第VI章 考察
1.自分の手で再現して分かったこと
a. 組織の形状
b. 布に対する作業方向と伸縮方向
c. 工夫の数々
- 輪結び組織は織物 刺繍 編物のどれに入るか
- フィリピン以外に輪結びつなぎはあるか
- フィリピンの輪結びつなぎについての考察
a-何から生まれた技法か
b-どれ位古い技法か
さいごに
参考文献
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