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コーリー・アキノ大統領の時代と共に フィリピン通信9

フィリピン通信9   2009.10.15.

コーリー・アキノ大統領の時代と共に  穴田久美子  

主婦から大統領へ

2009年8月1日、フィリピン最初の女性大統領となったコラソン・コファンコ・アキノ(愛称はコーリー)さんが76歳で昇天した。現アロヨ政権の汚職や政策に苦言を重ねてきた彼女の遺族は国葬を断った。しかし通夜に集う人々の列は数日絶えることなく続き、5日の埋葬に伴う葬列には雨の中でも20万人以上が彼女の棺を囲んだ。その報道を見ながら、私が留学生としてフィリピンに来てからの24年間を思った。

1983年にマニラ国際空港で暗殺された元上院議員ニノイ・アキノ氏の妻、コーリーは、「ピープルズ・パワー」と呼ばれた民主運動で、大統領に押し上げられ、1986年2月26日、20年間と1カ月独裁政権を強いてきた、フェルディナンド・マルコス大統領を国外追放に追い込んだ。独裁政権に終止符を打つために、次期大統領選に立候補するために帰国したニノイの未亡人として、夫のフィリピンを愛する思いを伝え続けていたコーリー。その夫の言葉がいつしか自分の言葉となって、フィリピンの将来を語り始めた彼女に、フィリピンの大衆は希望を託した。

彼女が政権をとってから、大規模なクーデター、北ルソンの大地震、20世紀最大のピナツボ火山の爆発、上院議会が決定した米軍基地の撤去、そして憲法制定。激動と波乱の6年間だった。憲法制定という大事業が動いていたとき、「すごい出来事の時期に自分はフィリピンにいる」と実感した。

マルコスとアキノ

マルコスの故郷北イロコス州で見つけた憲法改正の看板

 

憲法制定への賛否の意志を示す国民投票日の数日前、マルコス大統領のふるさと北イロコス州を訪ねた。そこで見た「A “No” vote is for Marcos, “Yes” is for Cory(“ノー”への投票はマルコスのため、“イエス”はコーリーのため)」「Batac is 101%”No” to ’86 Constitution(バタック町は101%、86年の憲法にノー)」という看板に、根強いマルコス派の抵抗を実感。アキノ政権を揺り動かす勢力として残り続けていた。でも、彼女は6年間、フィリピン最初の女性大統領として踏ん張った。

 

変革の渦の中で始まった留学生活

1985年8月、フィリピン国立大学で私の留学生生活が始まった。「安く英語を勉強できる」という本音があった。「社会事業学部」の大学院での聴講生からスタート。図書館にいたら、教授の一人が「あなた方の勉強の場はストリートよ。労働者や貧困者の声を聞くのが大切でしょう」と学生たちを政治集会へ追い立てていたことにびっくり。野次馬の私は親しくなったクラスメートとキャンパスを飛び出した。

そして初めてコーリーの演説を聞き、思わずカメラのシャッターを切った。新聞記者をしていたときに購入した、一眼レフを持っていたので、記者席に潜入できて前列で撮影できた。彼女のスピーチはあまり上手とは言えないものだった。でも「確かに私には政治家としての経験はありません。だからこそ皆さんの助けを得ながら、皆さんの願う政治を作っていきたい」という言葉は新鮮だった。後ろを振り返ると、熱気あふれる民衆の希望を求める瞳があふれていた。「安く英語を勉強できる」とこの国の経済状況を利用しようとしていた自分を恥しく思った。

コーリー・アキノ

記者席に潜入してコーリーに大接近

1986年のチェンジを求める民衆の熱気

1986年に「チェンジ」を求めるフィリピンの民衆の熱意

 

私がフィリピンで留学生生活を始めてすぐ、マルコス大統領が母校のフィリピン国立大学法学部の式典に来賓として来ると知り、「有名人見たさ」の軽い気持ちで、法学部の学生に混じって会場へ。法学部は住んでいた留学生会館から歩いて3分の場所。スピーチするために壇上へ向かう彼は、歩くのも辛そうで、語る声もかすれていた。法学部の外では、一部の学生がマルコス大統領への抗議集会を開いていた。キャンパス内はもう、独裁政権のコントロールは失われていた。

マルコスのスピーチ

マルコスの法学部の後輩への激励スピーチー声はかすれていた

マルコス

マルコスは記念切手のの額縁を受け取ったが……持ち上げられなかった

 

ピープルズ・パワーはフィリピン人の誇り

1986年2月25日、民衆が数キロに渡って、片道6車線の幹線道路、エドサ大通りを埋め尽くして政府軍と民衆の味方ついた反乱軍の衝突を防ごうと、「人間のじゅうたん」を創っていた。「また写真を撮りに行こう」と出かける準備をしていた私の部屋に、沖縄から留学に来ている友人、白久マリーナさんがやってきて「久美ちゃん、野次馬根性で行くなら止めて。これはフィリピン人の問題よ。戦車も出ているから何が起きるかわからないのよ。あなたがすこしでも怪我したら、日本のマスコミはまた“危険な国”のレッテルをフィリピンに貼り付けるのよ」。彼女の亡き父はフィリピン人。今は日本国籍となっている彼女も、本当は行きたいのに我慢していた。軽はずみな自分を恥じた。

そしてマルコス一族はハワイに亡命。コーリーが大統領に就任してすぐ、大統領府であるマラカニアン宮殿は一般に開放された。その最初の日、もちろん私も留学生仲間と共に飛んでいって、数珠つなぎの列に入って見学ルートを歩いた。普段着のフィリピン人が宮殿内を闊歩している姿に、時代の大きな変化を実感した。3,000足といわれたイメルダの靴や豪華なドレスの並ぶ学校の教室二つ分の大きな部屋も公開されていた。マルコス大統領一家の居住区は、亡命直前の生活感が残ったままで、大統領夫人のイメルダの部屋は、香水の強い香りが残っていた。マルコス大統領の寝室は病院のように酸素ボンベや心電図、人工透析器などの医療機器が並んでいて、腎臓病などで健康が悪化していたことを物語っていた。

コーリーは大統領としての任期中、マラカニアン宮殿を博物館として公開し続け、その近くの一般の住宅を借りて、住まいとした。

開放されたマラカニアン宮殿

普段着の庶民も自由にマラカニアン宮殿内を闊歩

マラカニアン宮殿にて筆者

私も留学生仲間と初めてマラカニアン宮殿に(左から二人目)

 

「ピープルズ・パワー一周年記念」1987年2月26日

翌年1987年2月26日の「ピープルズ・パワー一周年記念」に、当時の「人間のじゅうたん」があったエドサ大通りに行った。黄色い(コーリーのシンボルカラー)風船を持った人たちが再び通りを埋め尽くしていた。そして多くの人たちが「私は昨年、ここにいたのよ。I was one of them.(私はあの時の仲間の一人よ)」。誇りあふれる笑顔で語っていた。遅ればせながら、私もその体験を味わうことができた。日本から多くの、教師や労働運動団体、学生グループが「フィリピンから学びたい」と次々と訪れるようになり、多くのテレビ番組や新聞の取材もフィリピンへの関心を高めていった。

エドサ大通りの民衆

12車線あるエドサ大通りでピープルズ・パワーが再現された(私も若かった…)

民衆の熱気を体感

消防車によじのぼって民衆の熱気を体感

 

「ピープル」にこだわりたい

憲法で、大統領の任期は6年と定められている。再選を禁止しているためコーリーは6年後、政治から離れた。ラモス政権となってから、記者に請われても政治的発言も避けていた。そして時代はエストラダ政権、アロヨ政権と続き、2010年5月の大統領選挙へ時代は動いている。10月現在、8人が立候補を表明しているが、一番高い支持率を得ているのは、コーリーの長男で現上院議員のニノイ・アキノ二世(ニックネームはノイノイ)である。

コーリー本人からのメッセージ

私の携帯電話にコーリー本人からのテキストメッセージが今も残っている。”Kumiko, This is Cory Aquino, r u in Manila? Pls call me on my landline, +++++++.”「久美子、マニラにいるのですか?私の固定電話+++++番にかけてください」という内容。これは彼女が運営する「ニノイ・アキノ・ミュージアム」へ、東京都知事の石原慎太郎ご一行が訪問するときのコーディネーションの仕事をしていた時に受け取った。ご一行の到着を待つ間、私はコーリーとおしゃべりする時間を持てた。石原知事とニノイ・アキノ氏は長い友人で、石原家の息子たちは、ボストン在住のアキノ家にホームステイしながら留学生活を送っていたという。「伸晃(自民党議員で元大臣)はとってもshy boy(恥ずかしがりの少年)だったわ」と懐かしそうに話していた。

 

NGOでの活動、取材や通訳の仕事などでフィリピンでの毎日を重ねてきたが、気がつけば、日本で生活してきた年月の25年と、フィリピンで過ごした年月が、来年2010年に等しくなる。コーリー政権の誕生とコーリーの最期までの一つの時代が、すっぽり私のフィリピン体験となった。「ピープルズ・パワー」は世界の全ての民衆に必要な言葉だと思う。私なりに「ピープル」のキーワードにこだわって、これからも様々な事象や出来事、つながりなどを、全身を凝らして感じて生きたい。

 

プロフィール

Kumiko Anada 北海道出身。マニラ在住22年。フリーで取材や通訳などを仕事にしている。

海外労働者や女性、こども、先住民族が抱える問題を支援するNGOでボランティア。

 

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