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フィリピンの不思議な布つなぎ技法 渡辺敬子 その2

◆渡辺敬子さんの論文を3回に分けて掲載。今回はその2をお届けします。

 

フィリピンの不思議な布つなぎ技法 渡辺敬子 その2

*写真・図版等の無断転載を禁じます。

 

III章 マラウイ現地調査・広報

 

III-1 マラナオ族だけの住む村・バコロド・チコ

 

マニラから遠く離れたミンダナオ島マラウイ市は注3のごとく治安上の問題があり、外国人が簡単に行ける場所ではない。サベール教授の招きを受け、1989年9月現地調査にでかけた。

マニラからミンダナオ島カガヤンデオロ迄飛行機で飛び、そこからマラナオ族の中心地マラウイ市までは、どの様にして行くのか不安を抱きながら到着した。そこに思いがけずサベール教授自身が空港で我々を待っていて下さり、ホッとすると同時に驚いた。ラナオ湖畔にあるマラウイ市まで120キロ、車で2時間半かかった。途中チェックポイントが何ヶ所もあり、我々夫婦2人だけではそこを無事通過できたか疑問だ、教授がわざわざ出迎えて下さった理由が分った。

写真4 中央筆者、その右がサベール教授

 

調査場所は、マラウイ市郊外バコロッド・チコというマラナオ族だけの住む村であった。サベール教授と娘さんドーラも同行、通訳をしてくれた。

[3]  ミンダナオ島などフィリピン南部の島々にはインドネシア群島を経由して古くからイスラムが入っていた。スペイン人による植民地化よりも古い。文化的にみても北部よりも進んでいた。スペイン人はイスラム教徒との戦いに多大の犠牲を強いられたが、たいした成果をあげられなかった。イスラム教徒との本格的な対決が行われたのはフィリピンがアメリカの植民地になってからである。米本土でインディアンと戦いながら西部を開拓していったのと同じようなやり方で、アメリカ人はフィリピン南部の異教徒を制圧しようとした。そしてそこに欧米式の土地登記制度を導入した。現地のイスラム教徒にとって土地使用権は伝統的な取り決めによって認められたものであった所へこの様に全く新しい制度を導入し、それをいち早く利用する事が出来た一部のキリスト教徒が土地の所有者となった。そこへ北部フィリピンから貧しいキリスト教徒が入植してくると当然のこととして両者の間に衝突が生ずる。文化的な衝突であると同時に経済的な衝突でもある。この戦いは今も続いていて、いろんなイスラムゲリラが政府に武力で対抗している。外国人などを人質にとって政府との交渉の材料にするなどの事件が頻繁に起きる。したがって治安が悪く、同地への旅行などはなるべく避けるのが常識であった。

 

 

III-2 村一番の名手・ティボロンさん(Hadja Aisah Tiboron 70歳)

 

「彼女はこの村一番の針つなぎ名手です」と村人達がいう老婦人が7センチはあろうか、長い針1本持って現れた。彼女はつなごうとする布を下へ折曲げた。布端が耳でない場合は折曲げる必要があり、下へ折ったということは、出来上がってから作る際の表側を表として使うことがわかる。

膝の上のクッションに布のすき間を身体と平行に置き、右端を大きな安全ピンでクッションに止めつけた。私が持参した刺繍糸を針に2メートル以上だろうか長く取った。右端で2枚の布のすき間に糸を渡す。渡した糸をすくって10個ほど結び玉を並べた。布端を1針すくう。折り返して玉と玉の間をすくいながら戻る。1パターンは3往復。2パターン目に入る際、両脇でレース模様の透かし、つまり玉と玉の間を少し離して糸の見える部分を入れ始め、徐々に延長しレース模様を作った。彼女の頭の中にはレース模様がちゃんと入っているのであろう、図が無くとも間違えず透かしの筋は消えずに延びていった。

写真5 ティボロンさん(70歳)

彼女は右手で針を持ち、左手を2枚の布のすき間に入れ親指と人さし指を針に添える。針運びは上下往復で徐々に右から左に作業を進める。

マラナオ式も私の方式も、出来上がった輪結びつなぎは全く同じである。しかし作業方法が異なる。すき間を縦方向に置く私のやりかたは、左側の布を常に左手で握りこみ、更に親指と人さし指を針に添える。ここで私が気付いたことは、マロンのように50センチもある巾広の布はかさばり、握り込むと同時に針に指を添えるのが困難である。マラナオ方式は大きな布をつなぐのに適している、ということが彼女の実演を見て分った。

彼女は「昔は針と糸でこのようにして多くのマロンをつないだものだが、今は年取って目が利かないのでもう作れない」と言っていた。

 

III-3 刺繍糸は手作り・オマールさん(Hadja Aisa Omar 64歳)

オマールさんも長い針を使い、ティボロンさんと同じ方法でレース模様を作った。しかし彼女はスタートのやり方が変っていた。横糸をわたす代わりに布をクッションに止めつけた安全ピン針の部分を横糸代わりに使う。後からピンを抜けばよい。合理的で感心した。ティボロンさんの最初1段目は糸端が抜けないように、巻き込む糸が3本で結び玉が大きく目立つ。私は縫い物をする際と同じく最初結び玉を作る。布から抜けないようにするためだ。

写真6 オマールさん (右)

写真7  オマールさんの手元

オマールさんの座っている脇には、クレンザーの筒、タバコの空き箱等に何色もの織り糸が巻きつけ置いてあった。このことから刺繍糸は市販の物ではなく、織糸を何本か自分で撚り合せて使うことが分った。彼女も糸つくり糸つなぎの手間を省く為だろか恐ろしく長い糸を使っていた。

オマールさんは、「織物も見ますか」と言って階下へ下りた。この辺りは殆ど高床式の家なので床下は土間で風通し良く気持ちが良い。織物は片方を柱に結びつけ,もう一方を座り込んで腰ベルトで引っ張りながら織る腰帯機。彼女は横糸1本毎に左右に引いて柄合わせをしながら絣織りを織って見せてくれた。何とも気が遠くなりそうな仕事であった。

 

III-4 バコロド・チコではレース模様のみ、しかし日本人は・・・村人の驚き

 

輪結びつなぎと出会ってから4年後、この時までに私が作ることが出来た6種類の異なった模様で作ったサンプルのクッション・カバーを持参した(アテカ・ババエさんの模様、私の試作品第1号・布に並行、縞模様、幾何学模様、レース模様、レース模様にアウトライン・ステッチ入り)。

10人程そこに居たマラナオの婦人達にこれを見せたところ、自分達の技法を外国人が習得してこのようにたくさんの模様を作った事に対し大変驚いていた。

私も自分のやり方で実演をしたところ、それを見ていた人々は「あなたの方が村の婦人達より作業が早い」と言った。

多分私の方が手早いのは、その頃よく輪結びをやっており手馴れていたこと、マラナオの婦人達より糸が短いこと、布のすき間を縦方向に置く事などではなかろうかと思った。

マラナオの婦人達に「幾何学模様はどの様にしてつくるのですか」と逆にきかれたので、2本の針を同時に使って、左、右2色に分ける針と糸の操作方法をやって見せた。

10人ほどの婦人達がその場に集まっていたが、この技法に興味を持ち、覚えようという意欲は誰も無さそうであった。

 

III-5 伝統織物は現在も織られている。しかし輪結びつなぎは消滅寸前

 

バコロド・チコ村では当時女の人達の多くは織物を織っていたと思う。若い女性がマロンの飾り布「ランキット」を織って見せてくれた。オマールさんと同じく腰帯織。ランキットの特徴は、横糸1段毎に何色もの色糸を竹ベラで操作し模様を出す「綴れ織り」だ。織る際の裏側を後から表として使用することも、余分な糸が表にたくさん見える事から想像出来る。村人が色々持ち寄って見せてくれた品物の中に、特に私の興味を誘ったランッキトがあった。

 

写真8 織りで作った縞模様

これは明らかに輪結びつなぎ縞模様のデザインだ。針で作るより織る方がずっと早く出来るからである。私は、後年マニラで北部ルソン少数民族の織物を少し習った事がある。織物は輪結びつなぎに比べ、何と簡単に、早        く、大きな面積の組織を作ることが出来るかが、よくわかった。

 

III-6 マロンあれこれ 村人の服装

マロンは布の材質、織り方、丈の長さ等により種類が色々あるのは日本の着物に浴衣から留袖等まであるのと同じ。特に輪結びつなぎやランキットでつないだマロンは儀式用の特別なもので材質は絹、色は赤紫で昔は貴族だけ着ることができた色。儀式用マロンは男女兼用。

着方は腰で折り曲げる場合、胸迄上げる場合、肩まで上げる場合とか、叉ダーツの寄せ方など、数え切れない程色々あり、実際何人かで着て見せてくれ、時ならぬマロンのファッションショーとなった。

 

図13 マロン姿

敬虔なイスラム教徒である村人の服装も時代の流れを示しており、男性はつばなしのイスラム帽をかぶり、シャツとズボン姿であったが、女性は頭にスカーフを被り、ブラウスと市販の布を輪に縫ったマロンを着ていた。未婚の若い人たちは、男女共にTシャツにジーンズ姿で頭には何もつけていなかった。小さな子供達は洋服だった。なおマラウイ市内ではマロン姿は見かけなかった。

 

 

III-7 サベール教授と村人へのQ and A  

           

問1 1989年マラナオ族、輪結びつなぎ技法保持者は何人いるか?

答  以下のご婦人

1  Mrs. Hadja Aisa Omar, 64 years old、マラウイ市、トロス在住

2   Mrs.Amol Imam, 62, 同上

  • Hadja Rocaya Rogeng, 55, 同上
  • Hadja Aisa Tiboron. 70, 同上
  • Mrs Macaantal Amairadia. 60, 南ラナオ州、マシゥ村在住

一番若い人で55歳、後は60歳以上で、この技法はほろびつつあるのがわかった。

 

問2 マラナオの言葉で輪結びつなぎは何とよぶか?

答(1) ガアアン(ga’an)穴があるの意。

答(2) カマール叉はクムラ(kamar or kumur――指のようなの意)。1パターン毎に両布端布をすくう時できる小の字を横向きにした様な形を指と見たようだ。

 

答(3) ランキット・ア・ピラゴマン(langkit a piragoman――針で作るマロンの飾り布)。

答える人毎に違う答えが返ってくる事から、この技法の固有名詞は無さそうだ。

 

問3 それぞれの模様は何とよぶか?

答  縞模様=ダンパット(danpat)――押し付けた、隙間がない。

レース模様=パティンドク(patingdog)――斜線。

レース模様にアウトライン・ステッチ入り=ガアアン・ア・ティニリサン(ga’ang a tinirisan)――穴に沿ってバックステッチがある。幾何学模様=これに対する答えは、ジグザグ、ダイアモンドのようなとか出来上がった模様を見て答えていた問2同様出来上がった形状を言っており、固有名詞はない事がわかる。

 

問4 輪結びつなぎは、どれくらい古くからある技法か、叉織物のランキットとどちらの方が古いか?

答 サベール教授―-これについては、今迄調査された記録が無いので、まるで知る事が出来ないのが現状。

 

問5 この技法はマラナオ独自の物か?あるいは他の少数民族にもあるか?

答(1) サベール教授――今まで調べられた記録が無いので、不確かではあるが、マラナオ独自のものと思われる。

答(2) 村の婦人――マギンダナオ(ミンダナオ島、南西部に住む少数民俗、イスラム教徒)にもあるが、もっと細い。これについては後からスミソニアン博物館、収蔵品シャツ(#283,007 acc56,9459 30ページ図17、18参照)が出てくる事で、証明される。

 

問6 輪結びつなぎと織物は、どちらの方が作るのが難しいか?

答  輪結びつなぎの方が難しい。

問7 なぜこの技法でマロンをつないだか?

答  作る過程を楽しむ為、余暇を消化する為にもなった。

問8 この技法で作るマロンは、自分の物か、それとも他人の為に作ったか?

答  自分の物も、他人の物も両方作った。

問9 この技法は魚網、刺繍、織物、衣類の修理、のうち何から生まれたものであるか?

答  村人、サベール教授共に、全くわからないと言っていた。

問10 これに使う刺繍糸は何か?

答  昔は市販の刺繍糸を中国人の商人から買って使った事もある。しかしほとんどの場合布を織る時、糸を全部使ってしまわず残しておき、その糸でランキットを織り、何本か撚り合せて刺繍糸とし、輪結びつなぎも作った。

 

 

III- 8 広報

 

フィリピカ・サークル活動の一つとして「輪結びつなぎ」を始めた。フィリピンの少数民族から見つかった貴重な伝統技法を私だけに留めて置くのは勿体無いと思ったからである。私がフィリピンを去る1997年まで、約10年間、主にマニラ在住日本人主婦達で手芸好きが、週一度我が家に集まり輪結びつなぎを、手提げ袋、コースター、壁掛けなどに取り入れ、相当多くの方々が私から輪結び技法を覚えてくれたと思う。

現地調査時、ミンダナオ大学で出会った一教授からの紹介で、マニラの自宅に雑誌記者が取材にやってきた。輪結びつなぎ発見からその当時分っていた事まで、マニラで発行されていた週刊誌ミスター&ミセスに、2ページの記事となって出た。

 

 

 

第IV章 アメリカの博物館にもフィリピンの輪結びつなぎがあった

            アメリカでも調査した人がいた

 

IV-1 アメリカの博物館の蔵品再現

 

私がマラウイへ現地調査に行った報告を、マニラから日本の吉田さんに手紙で送った。

彼女もアメリカへ旅行した折、民族衣装を多く収蔵している博物館へ行き、輪結びつなぎを探したそうだ。すべてフィリピンの物だけで、他の国の民族衣装に輪結びつなぎは見つからなかったとのこと。見つかった物を写真に撮り私に送ってよこした。

フィールド博物館 (Field Museum of Natural History, Chicago)

#108870, #108874, #90386 ―――ティンギャン族シャツ

#108875                 ――― アブラパトック族シャツ

#129847, #129838, #129848―――マンダヤ族シャツ

スミソニアン博物館(National Museum of Natural History, Smithsonian, Washington D.C.)

#257661            ―――マラナオ族マロン

#283007           ――― マギンダナオ族シャツ

 

上記2つの博物館収蔵品の模様も写真から再現した。

1990年再現サンプルを送ると共に両博物館に、上記蔵品が入った時期、経路、理由について問い合わせた。

 

Ⅳ-2 フィールド博物館からの返事

 

ブロンソンさん(Mr. Bennet Bronson, Curator , Asian Archaeology and Ethnology)によると「同博物館のこれらの物は、すべて1907年から1909年までフィールド博物館で働いていた人類学者Faye- Cooper Coleが入手した物である。彼はこの仕事から、「ティンギャン族(The Tingyan )」、「ティンギャン族の伝統(Tradition of the Tingyan)」、「ダバオ地方の未開民俗たち(Wild Tribes of the Davao District)」という3冊の本を書いた。これらは1910年代にフィールド博物館の単行本シリーズFIELDIANとして出版された。これらの本はよく知られたもので、マニラの図書館でも多分見る事ができるでしょう、これを見れば全般的な背景はわかりますが、布つなぎについての記載があったかどうか私には記憶が無く、助言する事が出来ません」とあった。

ブロンソンさんへ先の依頼書と共に、フィリピンには布つなぎ手法がたくさんありそれらを収集中であること、マニラで出た週刊誌輪結びつなぎの記事コピーも送付した。

「あなた方二人は貴重な発見をしました。私の知る限りに於いて、フィリピンにマクラメのようなテクニックで布をつなぐ技法があることなど誰も知りません。ましてやこれを分類して再現することが出来る人は誰もいないことは確実です。フィリピン以外にも同類のものはありますか?この技法はフィリピン人の発明ですか?それは古い技法にちがいありません、そうでなければミンダナオのイスラム教徒と、ずっと遠く離れた北部ルソンの非イスラム教徒の両方に使われているはずがありません」とあった。

 

IV-3 スミソニアン博物館の蔵品記録

 

#257661のマロンは、1909年博物館入り、シアトルの博覧会の折クレメンス従軍牧師(Chaplain Joseph Clemens、U.S. Army)から購入、ラナオ州モロ族のもの。

#283007のシャツは1914年博物館入り、コレクターはハリス氏(J.R. Harris)。ミンダナオ島パラン地方モロ族のもの(渡辺註:パランは地図で調べると、コタバトの北で本来マギンダナオ族の地域であるが、マラナオ族のそばであることから、マラナオのマロンのつなぎをシャツに取り入れたと想像できる。1989年現地調査時、マラナオの一婦人が、マギンダナオにもあるがもっと細い、と言っていたが、このシャツがその裏づけになると思う)。

 

IV-4 なぜ20世紀初頭にフィリピンの物がアメリカの博物館に入ったか

 

わき道にそれるが、簡単に述べると、

スペイン領になる前のフィリピンは、地理的にも社会的にも辺境であった。

1565年~1898年迄約350年間スペインの植民地。

1898年米、西戦争がありスペインに勝ったアメリカは、以降1941年までフィリピンを植民地とした。特に初期1898年から1902年の間、アメリカはフィリピンを統治する為に軍政を敷き、多くの軍人、文官、学者がアメリカからやってきた。次いで1902年には英語による初等教育制度を創設し、600人とも1,000人ともいわれる教師をアメリカからフィリピン各地に送り込んだ。このようにしてフィリピンに来たアメリカ人が、フィリピンの少数民族のめずらしい物に目をつけ、アメリカに持ち帰った。それらの幾つかが、博物館へ寄贈されたり、売られたりした事が歴史からうかがえる。

 

IV-5 アメリカにも輪結びつなぎを調査した人がいた

 

吉田さんから「私と同時期にフィリピンに住んでいて友達だったアメリカ人女性、シャーロットさんもフィリピンで輪結びつなぎを手に入れ、アメリカに持ち帰り調査したので、どの様な調査をどこまでしたか、あなたから直接手紙を出してみたらどうか」との示唆を受けた。

そこで早速1990年3月、マニラからアメリカに、幾つかの質問事項、私が再現した輪結びつなぎサンプルの写真、週刊誌輪結びつなぎ記事コピーを同封して送った。返事が届いた。

 

IV-6 シャーロットさんの調査記録

 

(Charlotte Coffman――1971年~1981年ご主人が国際稲作研究所勤務のため家族で来比、1990年当時コーネル大学繊維・衣装部勤務)

彼女が持っているものはレース模様であることが、私が送った写真から分ったそうだ。

以下彼女からの返事を引用する。

「1979年バギオ(北部ルソンにある避暑地)のアンティーク店で入手。針で作られた部分のみ引きちぎられ帯状であるが、両側に布がついていることから本来布と布をつないだものらしいことは分った、しかし元は何であるか手がかりは無く、店の売り子もこれは何であるか全く知らなかった。

1982年『フィリピンの人と芸術(The People and Art of the Philippines-カリフォルニア大学ロスアンゼルス校、歴史・文化館出版)』の134ページの写真が目に止った。その時初めて彼女は持っている帯状のひもは、マラナオのものであることが分った。

そこで彼女は1978年ワシントンのスミソニアン博物館で、マラナオの同様のものを見たことを思い出し、自分のファイルから2つの写真を取り出した。それらは#283007(shirt 1914年博物館入り)と#257661 (malong 1909年博物館入り)の2点であった。彼女はこれがどのようにして作られた物なのか、知る時が来たことに気がついた。

方々の博物館や個人に1979年手に入れたものの写真、フィリピンの人と芸術134ページの写真、手紙を問い合わせのため送った。送り先は博物館関係では、

Field Museum of Natural History, Chicago

American Museum of Natural History, New York

Folk Art and Textile Museum of Cultural History, Los Angeles

National Museum of Natural History, Smithsonian, Washington D.C.

Royal Ontario Museum, Toronto, Canada

Carnegie Institute, Pittsburgh

Textile Museum, Washington D.C.

どこの博物館もこのタイプでつないだマロンはファイルにない。しかしこのような物は通常のファイルには記入されていない。もしかしたら探せばあるかも知れないということは認めている。

個人問い合わせ先は

吉田よし子Mary Ng,  Anne Towne, David Baradas, Fr. Sean McDonagh, David Szanton, Harold Conklin, Eric Casino, Mrs. Maglinoa, Ben and Helen Kadil, Dr. Gowing (Dansalan Research Center) など。

このうち下線のある人々からの返事はみなこのようなものは見た記憶がない、というものであった。

Dr. David Baradasからの返事は『ラナオ(渡辺註:マラナオ族の住むラナオ湖周辺のこと)で見たがそこの土地のものではないと思う』と言うものであった。

Dr. Gowingからの返事は、ミンダナオ国立大学研究所主任サベール教授によると『それは布をつなぐものでマロンの飾り布トビランとはちがいます。針と様々な色糸で引っ張ったり結んだり、退屈な作業を要します。絹と綿の両方のマロンがあります。土着の技法だと思いますが、儀式用以外の象徴的な意味は無いようです』と言うものであった。[1]

同年彼女はアメリカで開かれた国際手織り職人会議に出席して、スプラング織りを習ったとき、ペルーの技法スプラング織りの専門家Mary Frameに彼女の帯状のひもを見せたところ、これは、輪叉は結びによって作られたものでしょう、との助言を得た。

1983年彼女は有名な籠の芸術家Joanne Branfordを見つけた。彼によるとこれは網結びでしょうと言い、織物博物館のAnne Roweに話してみてはどうかと言われた。

ワシントンへ行きAnneに会った。Anneは一つのパターンを手で作って見せてくれ、彼女はそれをlooped knotting or knotted loopingと言った。しかし彼女のやり方とマラナオの婦人が作った物が同じであるかどうか、今もって分らない。

David Szantonから3年間ダンサラム・リサーチセンターで働いた事のあるLindy Washburnに連絡してみることを 薦められたのでニューヨークのLindyに電話をかけてみた。彼女によると『2~3インチの針を使い婦人達が布をつなぐのを見たことがあるが、実際作り方を習ったことは無い』とのことであった。

1984年彼女は長年ラナオに住んでいたFrank Laubachの息子Robertに会いに行ったが、残念なことに彼の父親のコレクションであるフィリピンの織物は売られてしまっていた。しかしながら1985年彼女がフィリピンへ行く際マラウイを訪れるようにアレンジをしてくれた。

1985年ミセス・吉田から『ずっと前あなたから手紙をもらったものと、同じようなものでつないだマロンを手に入れた』と書いてよこした。

Mrs. Mary Ngからもマハリカ・ビレッジに住む婦人がその技法を知っているかも知れないと連絡して来た。

1985年5月彼女はフィリピンにやって来た、そしてMary Ngと二人で28日と31日Maharlika VillageのKababae H. Omarに会いに行った、彼女は一つの作り方を実際作って見せてくれた。これには二つの主なデザインがありオキール(okir)とスーキップ(sukip)と言う。このやり方は、『つなぐ』という意味でカクムラ(kakumur)と呼ぶことが通訳を介して理解した。

 

シャーロットさんからは、「マラウイ市へ行く事は出来なかったが、あなたの次の仕事に期待しています。どうぞ私にもそれを知らせて下さい。そして一緒にこれについて記事にするよう努力しましょう」とあった。

 

注[1] サベール教授のこの発言は後年(1989年)私が現地調査に赴いた時の発言――「その様なものは見たことも調査した記録もない」――と異なる。両者の間には長いブランク期間があるので彼が失念していた可能性がある。私の現地調査の終了直前、「そういえば以前アメリカからその様な問い合わせがあったように思います」と言っていた。

 

IV-7 輪結びつなぎ再現が可能になった経緯 シャーロット、吉田、渡辺の連携プレイ

 

シャーロットさんから届いた返事を見て私はようやくここで吉田さんが、なぜあれほど輪結びつなぎに興味を持って調べようとしたのかが分った。吉田さんが手に入れた「マロンのつなぎ部分」と、以前シャーロットさんから彼女へ送られてきた「写真のひも」が同じらしいと気付いたからだ。日本では解決出来そうもないので写真に撮りフィリピンに持って来た。

フィリピンに住んでいた私がこれに興味を持ち「輪結びつなぎを再現」した、という訳である。

1985年5月、私達がアテカ・ババエさんに会いに行き最初に手ほどきを受けた同時期、シャーロットさんもフィリピンを再訪し、アテカ・ババエさんに会いに行っていたのだ、本当に驚いた。シャーロットさんは自分の手では何も作らなかったらしい。私は針と糸で実際作り、思いがけず次々見つかってくる輪結びつなぎを自分の手で再現する始まりとなったのだ。

後から吉田さんに聞いたところによると、アメリカの2つの博物館へ行ったのも、シャーロットさんの助けがあったから。シカゴのフィールド博物館は、以前シャーロットさんがマロンに輪結びつなぎが付いたものがないか調べたが見つからなかった、しかし同博物館にはフィリピンの品物がたくさんあることが分った。「時間をかけて調べれば、何かあるかも知れません」との情報をシャーロットさんから得た。吉田さんは、フィールド博物館へ行き、収蔵庫に入り探した結果、輪結びつなぎのついたシャツを幾つか見つけ出し写真に写した。それらがマニラに送られ、私が再度写真から再現出来たという次第である。

 

その3に続く

フィリピンの不思議な布つなぎ技法 渡辺敬子 その3

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フィリピンの不思議な布つなぎ技法

-発見 再現 図解 調査などの記録-

 全目次 (その1・その2・その3)

その1                            

はじめに                                   

I章 写真から技法再現                     

  1. 出会い
  2. 写真だけではどうにもならない
  3. アメリカ人織物研究家の橋渡し
  4. マラナオの婦人も写真の様なものは見たことがなく作ることもできなかった
  5. マラナオ婦人アテカ・ババエさんのやり方
  6. 吉田さんは見ていただけ、私は同じ物を作ろうとした
  7. 一つの結び玉から解明の糸口見つける
  8. 試行錯誤から試作品第1号誕生                 
  9. 基本形発見 マラナオは布と直角                     
  10. 輪結び、輪結び組織、輪結びつなぎ、とは               
  11. 布つなぎ全般から見た輪結びつなぎの位置               
  12. 幾何学模様再現                          
  13. 写真から不思議な技法が再現できて満足               

II章 新たな発見が思いがけない転機となる              

  1. レース模様発見                           
  2. マロンを買わずにレース模様の再現努力            
  3. 困難そして友人から縞模様サンプル入手
  4. レース模様図解・再現                        
  5. 民族衣装収集第1号入手                       
  6. 輪結び組織には表裏があることを発見
  7. 最初買わずに苦労してよかったこと                  
  8. アンティーク店 博物館めぐりをはじめる               
  9. レース模様にアウトライン・ステッチ入り発見
  10. 夫の協力                          
  11. サベール教授からの返事        

その2

III章 マラウイ現地調査 広報                                          

  1. マラナオ族だけが住む村・バコロド・チコ               
  2. 村一番の名手・ティボロンさん(Hadja Aisa Tiboron 70歳)    
  3. 刺繍糸は手作り・オマールさん(Hadja Aisa Omar 64歳)      
  4. バコロド・チコではレース模様のみ、しかし日本人は・・・村人の驚き  
  5. 伝統織物は現在も織られている、しかし輪結びつなぎは消滅寸前    
  6. マロンあれこれ 村人の服装                   
  7. サベール教授と村人へのQ and A                   
  8. 広報                              

IV章 アメリカの博物館にもフィリピンの輪結びつなぎがあった。アメリカでも調査した人がいた                                                             

  1. アメリカの博物館の蔵品再現                    
  2. フィールド博物館からの返事                     
  3. スミソニアン博物館の蔵品記録                    
  4. なぜ20世紀頭にフィリピンの物がアメリカの博物館に入ったか     
  5. アメリカにも輪結びつなぎを調査した人がいた             
  6. シャーロットさんの調査記録                     
  7. 輪結びつなぎが再現可能になった経緯――シャーロット・吉田・渡辺の連携プレイ                        

その3

第V章 図解                                                           

  1. ミンダナオ・イスラム・グループ                   
  2. ミンダナオ・非イスラム(精霊信仰)グループ              
  3. 北部ルソン山岳部・精霊信仰グループ                 

第VI章 考察                                                           

1.自分の手で再現して分かったこと                 

   a-組織の形状                         

   b-布に対する作業方向と伸縮方向               

   c-工夫の数々                         

  1. 輪結び組織は織物 刺繍 編物のどれに入るか             
  2. フィリピン以外に輪結びつなぎはあるか                
  3. フィリピンの輪結びつなぎについての考察              

  a-何から生まれた技法か                   

  b-どれ位古い技法か                    

 さいごに                                                                  

参考文献   

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